我が子を育てる難しさ

発達障害児の子育ては、毎日が戦争です。どの子も育てるのは大変だし働きながらだともっと大変だ、と思うのは当然だと思います。

ですが、なぜあの子はできるのにうちの子はできないのか?

なぜうちの子は他の子と違うのか。

発達グレーと言われるまで、正直言うと私にはこの子は育てられない、もう無理だ、

今まで自由気ままに生きてきた私への罰か、子供なんて作るんじゃなかった、

と毎日毎日泣いていました。

今ではそこまで思うことはなくなりましたが、それでもたまに思い詰める日もあります。

初めての子育てで、こんなにも大変なのかと思いながら1歳まではあっという間でした。

とにかく寝ない、抱っこしたら暴れる、寝かせると泣く、歩き回ると寝る、寝かせると泣く。

赤ちゃんってこんなに寝ないものか、と思っていました。

ミルクも飲んだり飲まなかったりで、体重は増えず病院から指導が入りました。

かなり経ってから気づいたのですが、この頃からこだわりが強かったのです。

特定のメーカーの決まったミルクしか飲まなかったのです。あれこれ試してようやく飲み始めるころにはもう離乳食を始める時期でした。

離乳食も食べない、食べたと思ったら全て嘔吐。毎日その繰り返しで、何もかもが嫌になっていました。

1歳を過ぎ、市の保健師に支援センターに行くことをすすめられ週に2日ほど遊びに行くようになったのですが、そこであきらかにうちの子は違う!他の子と違う。と自覚したのです。

自覚したと同時に、我が子ながらどうやってこの子を育てていけばいいのか‥

悩む毎日でしたが、育てなければならないのは当然で。

言葉も話さない、食べない、泣き喚く我が子を育てなければならない。

暗闇の中を子供と歩いている毎日でした。

離れる決断

働き出すのはまだ先でいいと思っていましたが、このままでは私が潰れると思い、保育園に入園させることにしたのです。

その結果少しだけ、、ほんの少し。米粒数個ほどの余裕が私の中にできました。

そのほんの少しの余裕を握りしめながらこれからのことを模索しつつ、

親だけではなく第三者からの視点での意見も取り入れることができました。

親だけでは偏った見解になり、どうしていけば良いか分からなかった事もあったからです。

もちろん仕事との両立は大変でしたが、子どもから離れて過ごす時間は正直とても開放感がありました。

少しの余裕と少しの罪悪感を抱きながら、発達検査を受ける覚悟やこの先の支援など決める決断ができました。

親も人間

当たり前ですが、親も人間で。心があります。

子供を預けて働く、離れて自分時間を作ることが正解とは思いませんし、

障がいのある子と24時間向き合って暮らしている方々も大勢います。

私は自分が潰れる事を回避するために、このまま過ごしていたら手をあげてしまうかもしれない恐怖をなくすために保育園に入れる決断をしました。

人それぞれ、家庭環境も違うから何が最善策かはわかりません。

ですが、我が子を育てるために。

発達障害の子を育てるために、私が出した結論です。

自分を守らなければ子供も守れないし、育てられない。

まだまだこれから、子育ては続くのです。

あと何年、、、、不安しかないのが本音です。

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